インターネットガバナンスパネル@Interop

前の日記に書いた通り、Interop村井純さん,加藤幹之さん,伊藤穣一さんを迎えてインターネットガバナンスのパネルをやりました。

このパネル、技術ネタが並ぶカンファレンスの中の1セッションで、並列セッションがあったりする関係で、この三巨頭を迎えてのセッションに似つかわしくないくらい人は少なかったのですが、内容はとても濃密で、やった甲斐があったと思います。
僕が知っている人々として、JPNIC職員,JPRS職員,JANOG運営委員が顔を出していたのですが、この3人からは一様に、最近のガバナンス系セッションでは最も有意義だった、という声を聞きました。嬉しい限り。

伊藤穣一さん - US政府やICANN理事会の実状とは

まず伊藤穣一さん。現役のICANN理事でもいらっしゃり、USの事情を良くご存じですので、例えば.xxxの承認に関する細かな動きや、米国政府のインターネットガバナンスに対する姿勢などを実体感を伴って説明してくださいました。
.xxxはICANNとしては、プロセスをオープンにしているんだから、政府が問題だと思うんであれば何か言ってくるだろうと思っていたのに何も言ってこず、政府としてはそんな公序良俗の問題が自分たちのところで了承も得られない間に認められるという事態をそもそも考えていない。理事会が承認した後「けしからん」という人たちも、結局 .xxxが実現しようとしている「青少年保護も含めたアダルトサイトの適正な運営」みたいな方向性を全く知らずにものを言っていたりする。
US政府のインターネットガバナンスに対する立場は、我々他国から見ると「今もっているコントロールを手放さない」と見えるが、これは国内向けに「国益とセキュリティ」に配慮しているんだというポジションを立てないといけないということの発露であって、それ以上積極的なコントロールICANNに置こうとしているわけでない、と。

加藤幹之さん - インターネットこそ排他的では?すりあわせを

次に加藤幹之さん。そもそもはセッション前のブリーフィングから始まっていました。僕の頭だしスライドの中で、

    • インターネット的アプローチが一般社会に適用できるか
    • 一般社会的アプローチがインターネットを許容できるか

みたいなことを書いたんですが、「いかにもインターネットが普通の社会じゃないって意識の裏返しだなぁ」といわれたんですね。壇上でも、インターネットのコミュニティは自分たちのやり方が好ましいと思うあまり、かえって排他的になっていることがあるんじゃないかとご指摘。これは結構耳が痛い指摘のような気がします。複数の相反する考え方がある場合、当然ながらお互いの背景を汲み取りながら主張を理解し、最大公約数を追い求めるという努力が必要だろう、とおっしゃいました。
また、インターネットが自由だと思っているかもしれないが、有史以来自由は勝ち取るものなんだ、とおっしゃい、日本の民間からまだまだインターネットガバナンスに対する関心が薄いことに懸念を示されました。

村井純さん - 標準化の問題・アカデミアの役割・官と民・根性

最後に村井純さん。村井さんの最初の10分の発表は、実は最近の幾つかの講演でもその要素は見つけられますが、まずIETFフォーラム講演の中から、標準化とアカデミアの役割について。
標準化ついては、デジュールスタンダードではITUにおける国際標準をTTCで国内標準にしてディプロイする、という構図があり、IETFにおけるデファクトスタンダードは国内版がない。国内のデファクトスタンダードIETFで国際化するような回路があってもいいのではないのか、という観点と、
アカデミアの役割について、MITがその昔 Prototype or die と言って、アカデミアは論文だけ書いて涼しい顔をするのではなく、実際に動くものを作って見せないといけないという方向転換を示したのだが、今MITは Testbed or dieなんて言い始めている。つまり、ディプロイメントのフェーズとしてResearch, Prototype, Testbed, Product とあるとして、実際に本当に動くものを作るようにという要請が徐々に大きくなっていると指摘。
もう1つは、ガバナンスにおける官と民の協同について。これは2日前のSFCにおける國領二郎さんの授業にゲスト参加した村井さんのスライドでして、実はこのスライドのタイトル行が後からアニメーションで登場。官は公平性と透明性を志向するが、「全国民」を配慮し組織で決定する以上変化に弱い。民は個人の使命と市場原理で動くということで、競争と変化に強い、こういう違いはあるが、いずれの場合にも何かを突き動かすのは結局「根性」である。と締めました。
実はその國領先生の授業では、学生さんが「インターネットは国や国連が管理するべきではないか」という見解をたくさん示したということを聞いたらしく、危機感をお感じらしいんですね。上の授業、SOI的に見ることが出来て僕も見てみたのですが、学生さんはどうも国や国連を単に「公平性や中立性」としてしか考えていない感じにお見受けします。世の中でも揉まれるうちに学んで行くのかなぁ、とも思いますが。

そしてディスカッション

その後のディスカッションも含めて着目するべき論点を以下に幾つか。

  • まずはインターネットと一般社会の問題。象徴的には放送通信融合の1つの議論の柱でもある知財権。知財権を既に持っている人たちは何も分からないままインターネットを脅威と思っていて、対立姿勢を見せているという面が大きい。.xxxの話ではないが、あまり良く実際の内容を精査せずに議論されているところも大きい。つまり加藤さんのところで述べたとおり、インターネットというものが良くされずに論じられることが多いため、まずは相互理解がとても重要であろう、ということ。
  • 日本におけるインターネットガバナンスに対する対応の評価。そもそも日本では主管官庁はインターネット業界に対して協力的で、民間が主導し官がサポートするというフォーメーションが出来ていたところ、WSIS/WGIGのプロセスを通じてこれがうまく作用。IGTFのようなところが専門的技術的検討をしながらそれを参照して良く問題点を理解した上で日本政府が対応していた。従って単なる感情論を振りかざすのではなく冷静に「大人の」対応ができていたし、WSISチュニスフェーズ直前の交渉段階でUSとEUの間上手に取り持って合意に導いたといっても過言ではないのではないか、とかなり好ましくフォーメーションされていたという評価でした。これはIGTFに関わる人間としても嬉しいですね。
  • 「根性」という若干アナクロな響きのする言葉は、とても本質的に必要だと思いました。村井さんが最後の方で言ったのは、上のポイントで政府がうまくやれるのは、担当官が「欧米のあらゆる国の担当官と渡り合える凄腕」であったからと指摘。ちなみに坂巻政明 国際政策課長のことですね。またご自身たちICANN歴代理事3人も「俺たちだからこそ」と自己評価(でもこれ自慢っぽくなくスッと聞けましたね。さすがです)。つまりは実際に手を動かす人がいて、その人の根性があって初めて成し遂げられることなんだ、と指摘して、今後もガバナンスに対して注視して人的な関与や貢献を増やして行く必要があることを示唆しました。


コーディネータとしては、改めてお三人の凄さを実感しました。基盤技術のフロンティア,ベンチャーキャピタリスト,企業法務のトップのそれぞれで確固としたキャリアがあり、そこからガバナンスを語るその言葉はどれも重く響くものでした。

また、立ち返ってしまうとこれも1つの、Heterogeneityの問題じゃないですか。インターネットという異文化が既存の文化とどう理解しあって止揚するか。止揚するにはその前線にいる人たちは格闘を強いられ、時に手痛い相反も経験しながら、辛抱強くやらないといけないわけですよね。ここまで立ち返ると実も蓋もないながら。