GLOCOM IECP 東浩紀さんによる「情報社会の自由を考える:総論」

昨年末からGLOCOMのIECPという講演会シリーズに出席しても良い権というものをいただきまして、隙あらば聞きに行こうと思っていましたが、今回のヤツだけは案内直後に申し込んで、成功裏に聴講することができました。

情報社会の自由を考える:総論〜多元的社会と環境管理〜
これはised:情報社会の倫理と設計に関する学際的研究という研究会の総括とその上に今後積み上げて行く議論の頭だしという形で、東浩紀さん(GLOCOM副所長なんですよね、今)が講演なさったものでした。

ちなみにisedも、講演でも東さんがおっしゃったように濃密な議論が行われていたらしく(しかし僕はその頃出席しても良い権を持っていなかったし、都合も合わなかった)、誰も全部見たことがないじゃないかと観測されるほど詳細かつ長編な議事録が上のリンクから参照可能です。僕も全部は読んでいない。

そういうわけであのisedのサマリを東さんがなさるというところに大きな魅力を感じていたわけです。
東浩紀さん、ご自身の個人のサイトからたどるとあらゆる業績が参照できますが、現代思想の研究、サブカルチャーの評論などおやりで、著書を一度拝見したときの個人的な印象は、難解になりがちな現代思想でも丁寧に具体的な例も援用しながら分かりやすく表現できる方なんだなぁ、という感じなんですね、歳なんか僕よりずっと若いのに。

いろいろなポイントで興味深く、もやもやの整理になり、有意義な時間でした。

この2年間くらいインターネットガバナンスというお題目で喋る機会を度々いただきまして、その総論のような話の時に、Laurence Lessig が CODEで示した、「人間の自由な行動を制約するものは、法律,市場,倫理とアーキテクチャである」とするチャートや、東さんが波状言論というメールマガジンで示したポストモダン社会のモデル - 異なる価値観の多数のコミュニティが、共通のアーキテクチャの上に存在している - を示したことが何度かありました。例えばJANOG15のスライド、一番後ろのほうにこの2つがあります。

Lessigのチャートを初めて見たのは2000年だったと思いますが、僕にはそれがとても本質的なものに思えて、上に述べたように時折引用するようになったわけです。
最近では「法律・市場・倫理・アーキテクチャ」の4つを、「法律や社会制度・市場・倫理・インフラストラクチャ」と読み替え、それぞれにアーキテクチャがあってそれぞれに設計し構築することが可能で、かつそれらは自由を制約するだけじゃなくて活動を支援することもあるんじゃないか、という「レッシグチャート・改」なんて大それたものを書いてみたりしていました。
この中で倫理のアーキテクチャの設計、なんてありえるのか?難しいけど、あるとしたら哲学者の仕事だよな、と東さんのことを思い描いたりしたんですが、今回の講演では奇しくも、「倫理のメンテナンスも随分お金が掛かるんですよ」という言葉がQ&Aに出てきて、「レッシグチャート・改」のアイディアは間違ってなかったんだなぁ、とうれしく思いました。

もう1つ、そうやって付き合っているLessigのチャートとは言え、原作は1999年の仕事ですからね、もう7年経っていて、古くなっちゃってるんじゃないかと思っていたのですが、いやいやまだまだイケるってくらい本質的なんだなぁ、と再確認したりして。

ま、ただ、僕がインターネットガバナンスを喋ると、ネットワークインフラの部分にフォーカスするので、Web2.0的な文脈というか、アプリケーションの層のアーキテクチャがすっぽり抜けてるんですよね。なんかちょっと気持ち悪いな。