インターネットはインフラとして十分か?

日経デジタルコアでは荒野高志さんを座長として「ネット社会アーキテクチャー研究会」という研究会が発足しています。7/26(水)はその2回目で、IIJの浅羽登志也さんとMRIの中村秀治さんがご登壇。これは見逃せないと思い見てきました。

浅羽さんは最終的にインターネットを郵便システムに対応させるのですが、電気ガス水道,鉄道,道路といった、ネットワーク的な社会インフラを、content,配送制御,伝送の各要素との対応で、

電気ガス水道  鉄道   道路      放送   電話   ?   郵便 
コンテンツ    ■             ■        
ネットワーク制御    ■      ■          ■     ■         ■  
トランスポート設備    ■      ■     ■        ■     ■    ?    □  

という図をお書きになり、郵便が時代によって主流となるトランスポートインフラを乗り換えながらサービスを提供していた、と概説。これは電話網の利用からはじまって、最近ではインターネット専用の回線が必要、次には40G以降の新たなトランスポート技術を必要としていくだろう、言い換えると既存のインフラを利用して急速に成長してきた「すねかじりフェーズ」から自分の成長のためにインフラ構築が必要となる「独り立ちフェーズ」に転換しようとしている、今がちょうどその際に当たるだろう、と指摘なさいます。郵便になぞらえるのはとても新鮮でした。

また、インターネット自体が何かのインフラであるとすれば、放送や電話が「情報の流通」のインフラであるのにたいして、「知の流通」のインフラだと言っていいのでは、とおっしゃいました。これも示唆深い表現だと思います。


それに対して中村秀治さんは、MRIの社内研究として実施した「ポストe-Japan戦略に向けた根幹的施策の研究」の成果をご披露。これはさすがシンクタンクというど迫力。中でも、情報通信産業における産官学の連携が他国ほど戦略的でないという刺激的な指摘がとても印象に残りました。曰く、製造業においては産官一体となって標準化に取り組みまた他の国に売り込みに行くような体制が欧米中に比べ不安になるほど弱く、ADSLの爆発的浸透を導き出した競争政策はincumbent carrierに集中させて国際競争力を確保する方向性を考えるとすればその逆を行く、あるいはインターネットの産業政策に対する官の関与が薄い、などなど。


で、お二人の登壇者の完璧な時間配分の講演の後のQ&A。「インターネットとIP通信とは区別しないと」という荒野さんのコメントが、どういった文脈で出てきたかちょっと失念しましたが、一見そこまで大きな関連性を持たないように見える浅羽さんと秀治さんの発表も、このコメントでグッと関連を持ってくる感じがします。

浅羽さんはインターネットを軸にして情報流通インフラの明日を論じ、秀治さんはインターネットも下敷きにするレイヤ1以下の設備や標準のことを論じたんだと思うんですね。

抄録はWebに既に挙がっていまして、
http://it.nikkei.co.jp/business/news/index.aspx?n=MMITac000027072006
僕もコメントをしたのですが本当に舌足らずで何を言っているか分からなかったので、ここでリベンジしようと。:-p
やっぱり考えがまとまらないうちに何か話そうとしちゃいけませんね。出過ぎた真似でした。

僕は最近はインターネットのコーディネーションに随分時間を掛けて取り組んでいますが、本当に未来永劫インターネットが今の隆盛具合で存続しているかということに関しては、相当大きな疑問を持っています。今インターネット上を流れているトラフィックの相当の部分は、インターネットの持ち味をあんまり活用していないですよね。
例えばmixiなんて僕相当依存した生活してますけど、mixiのサーバにつながってしまえばいいわけで、そこまでの線は、必ずしもインターネットじゃなくていいんですよ。フレッツスクエア的なもんでもいいですよね。また、limelightみたいな世界規模のIDC+CDNみたいなサービスが売れているのを見ると、コンテンツサイドもあんまりインターネットに依存したがっていないのではないかのように見えるんです。売れるサービスほど、お客さんの手元までサービスを持って行くだろうし、アクセス側もいい品質のサービスを手元に持って来たいと思うでしょうね。

だからインターネットへの依存度は下がって行くんじゃないかと思います。逆に典型的で安全なことが分かっているサービスだけを提供する、「安心安全」の実現の仕方ってあって、ヘビーユーザでなければそういうサービスを好き好んで使うんじゃないかと思えます。

今までのインターネットは、Webやストリーム系のリッチコンテンツなど、インターネット以前にはあり得なかった情報通信の形を担ってきました。これまではインターネットしか流通するメディアがなかったですからインターネットじゃないとダメだったんですが、方法論が確立した今、インターネットじゃなきゃだめな理由は少なくなってきたということなんだと思うし、クローズドなIPネットワークでコンテンツを配信したほうがメリットも高い、のかもしれない。
ついでにIPv6なんかを考えたとしても、センサーネットワークなんかがインターネットにつながる理由って、どうもピンと来ないです。
もしそうやって現実にインターネット離れが発生したときに、それでもインターネットじゃないとだめなものって何なのだろうと考えると、

anyone-to-anyone で自由に情報の流通が行える
全世界を網羅していて、いくらプライベート化が進んでもラストリゾートを担える情報流通プラットフォーム

という特性に尽きるのではないかと思います。


考えてみれば、この anyone-to-anyone という特性のために、SPAMやウィルスといった良くないものが蔓延することなったわけですよね。世界中で単一の名前番号空間を共有するから、グローバルなポリシコーディネーションが必要となるわけで対価とした払うコストは安くはないのかもしれないわけですが、ただこのanyone-to-anyoneの情報流通というものこそインターネットの強烈な魅力で、もはや「情報の流通」ではなくて「知の流通」なのだと区別して論じられるための要件のような気がします。

僕の妻高橋明子は「住民ディレクター」という活動をやっていたりします。
どんな個人やどんなど田舎にも、小さいセグメントには強烈な共感を及ぼす、考えや魅力やその他諸々があって、それを他の人に見てもらうための編集能力を養いたい。それに今や安くなったデジカメで取材、デスクトップ編集をして、超私的なビデオを作るなんてことをやるわけですね。
例えばこれなんて、凄く広まるとanyone-to-anyoneで数100Mになるビデオクリップを送ることになるわけですが、anyone-to-anyoneが広域的展開を見せるほど、インターネットじゃないとうまくやれなくなっていきそうです。
もう少し一般化すると、これからのリッチメディアの時代にそうやって個人個人が情報を発信する能力を持ってくると、anyone-to-anyoneで大きな情報のフローが出来るだろう、と。裏返して言えば、個人個人が情報発信なんて興味なく、受け手としても放送局などの大手のものさえあればいいというのであれば、インターネットなんてそんなに重要じゃないということになりますが。

自由な情報流通というのもキーかもしれません。メールとWebしか通らないとか、今でもちょっと間に箱が入っていると、VPNとか複雑なプロトコルは通らなくなっちゃうことありますもんね。P2Pファイル共有なんかは、不法コピーや漏洩ばかり取りざたされますが革新的なソフトウェアです。ああいうイノベーションは技術的に制限が少ない通信路が必要です。


これで一通りなんですが、なんだ、当たり前のこと言ってんじゃん、とか、結局取り留めないじゃん、とお感じになった方も多いと思います。ただそれまでに聞いて積み重なってきたアイディアと、漠然としたインターネットに対する不安が、あの研究会の間考えてスッと整理された感じがしました。