インターネットの法と慣習

白田 秀彰さんの「インターネットの法と慣習」ASIN:4797334673 を買って読みました。
HotWiredの連載は知らなかったわけではなかったけど追っていませんでした。というわけで本稿初見だったのですが、オススメです。
僕はインターネットのインフラストラクチャに関するガバナンスに関わり、それがどうあれば好ましいのかということをつらつらと考え、このはてなダイアリはそういうことばかり書いています。
そういう立場でかねてから一般社会における法律や法体系がどのように形作られてきたかに関して勉強したいと思っていたわけですが、きっと法学部の初年次とかにやるんだろうなぁ、と思いつつ、じゃぁ、法学概論、みたいな教科書を読めばいいんだろうけど、正直、手に取った本があたっている可能性結構低いだろうなぁ、と邪推するあまり億劫だったのです。この本は正に僕のこのようなニーズに、インターネットに沿った形で、親近感の沸く語り口で応えてくれているように思います。


id:kkyamasita さんのダイアリに本文が大量に引用されていて、要点を抜き出すに便利なので使わせていただきますと、

 英語では、法律を意味する「law」と科学法則を意味する「law」は同じ言葉である。科学の法則は、私たちの都合や希望とはまったくお構いなしにそこに「ある」仕組みだ。理想の法律は、科学の法則と同じように自然とそれに従ってしまうぐらい「自然」で「合理的な」ものでなくてはならない。と著者は言っている。

のあたり、確かにLawで法則という意味があったけど、言えばこの辺が人間社会のアーキテクチャが持つ当然の法則として「法」があるんだなぁというのに納得したり、

 英米法の特徴は、判例主義で、議会が作る法律よりも伝統に根ざした裁判所の判断の法が偉いという仕組みになっている。英米法といってもイギリスとアメリカではこの偉さの意味が違っている。法律家は、イギリスでは「法の伝統的精髄を身に備えた人間」であり、アメリカでは「健全な常識を備えた人間」になる。

 大陸法の特徴は、法律主義で、学者が論理的・理性的に整理した法律案をもとに、議会がバシッと決めてしまい、紙の上に書いた法律の方が判例よりも偉いことになっている。

あたり、やっぱりそれぞれのエコシステムに応じた発展があるんだなぁということが分かって興味深かったです。

崎山さんのブログでもいい評価です。僕は崎山さんのように洞察することできませんが。