政策学的思考とは何か

政策学的思考とは何か―公共政策学原論の試み

政策学的思考とは何か―公共政策学原論の試み

という本を、結構前に買ったのですがスルスルと読み下していけるような本じゃなかったので時間がかかってしまいましたが、読了。

僕の中の想像では、政策学という確立された学問領域があって、そこで育まれた確立された手法があるのではないかと思っていたのですが、どうも違うようだ、ということが分かりました。政策というキーワードが最近のはやりであって、これを冠する大学の学部学科や学会も増えてきているのだけれども、それらの中で共有されている理論が確固して存在しているわけじゃなさそうです。

ただこの本(ちなみに2005年初版)はそれをディシプリンとして確立しようと格闘するさまをいろいろな角度から眺めることができる感じがします。以下、今一度ページをめくりながら印象的だった内容を列挙してみます。

  • 政策学を科学として確立させるためにどういう要件が求められるのか
  • USで発展した「政策科学」という考え方は、共産主義の脅威に立ち向かうためにどのようにして資本主義下の政策学を体系化するかという感じで、共産主義を大いに意識していた
  • インクリメンタリズム(現状改善主義)の功罪
  • 政策をデザインする、とすれば、それは建築などのデザインとの相違点類似点はなにか
  • 医学,治療における処方箋と政策の対比(医学ってインターネットのオペレーションと対比しても面白いんですよね。)。短期的には症状の改善を行う必要があるが長期的に発症自体をコントロールする病理の解明。
  • 法/政治モデルと政策モデルの対比。権利や自由の侵害を後から認定し保障する法・司法と、利害調整を中心とした政策決定機関としての政治。これらだけでカバーできないからこそ政策に期待が寄せられる。特に法/政治モデルの働きまでリーチできない弱者の存在。
  • 政策としての結社の自由 - 資本と結社,結社と個人の間の関係の変遷、、なんていうのは関係薄いかと思ったらそうでもないのね。
  • 国際公共政策 - 国際社会では主権国がすべて平等でその内政に干渉しないという前提が、根本的に国内と異なる。この一点ですべての国家に適用されるルールを作ることが困難。なので政策的手法より政治的な手法が支配的になってしまう。結局秩序維持にはパワーバランスが重要。
    • インターネットでやろうとしていることはglobalであってInternationalじゃないんですよね。WSISプロセスを見ていてぼんやり思っていたことが整理されました。
  • 科学技術政策 - 世の中を構成するものがだんだん専門的になっていくなかで、科学技術政策を誰が立案し承認するのか。技術開発や研究をどうコントロールするのか
    • ここは大いにインターネットに関係があるんですが、この論文はもっとアカデミックな方面にフォーカスが当たっている感じがして、オペレーショナルなものが見えてない感じがしました。
  • 公共とは何だろう。自分を中心とした狭い社会の中に内在し、暗黙に承認され反射的直感的に良否を判断できる水準でしか人は物事を判断できない。公共とはそういう判断を反省的に再構成して広い社会に適用することを意味しており、広く通用する共通認識に基づいて相手に納得(直感的な良否の判断)させる必要がある。
    • 政治というと豪腕で利益調整を行うイメージがあるが、この納得させる作業を緻密に行うことは純粋な意味でとても政治的な営みである。

この本の共著で、編者の足立幸男さん以外はすべて30代の研究者なんですね。あとがきにもありましたが、単なる論文の寄せ集めじゃなくて、それぞれの章を相互に参照していたりして、相当念入りに編まれたものだと思いました。

正直な話、もっとお気楽に「こういう本を読んだら自分の仕事に即日役立つような知恵が手に入るんじゃないか」とうっすら期待していたのですが、政策学というものがそこまで確立しておらずいまだ発展途上にあるんだというあらゆる論を読む羽目になっちゃいました。:-( しかしながら、とても刺激的でしたし、珍しく線を引いたり折り目つけたりしてしまいました。