APNIC22を振り返る
帰国してから随分時間がたってしまいましたが、台湾は高雄で開催されたAPNIC22ミーティング http://www.apnic.net/meetings/22/ を振り返ろうと思います。
会場と町の風景
まず高雄。日本語読みしてタカオ、中国語では Kaohsiung カオシュンです。台湾第二の都市です。南部最大,港町,人口15Mという感じは、我が故郷福岡に似ています。そう思って山際まで目をやると、本当に町の規模が福岡に似ていることに気づくのです。
会場は Grand Hi-Lai Hotel 漢來大飯店という一流ホテルです。漢神Hanshin百貨店というデパートと同じ建物で、45階建て。Hi-Laiと書いてありますが、漢来はHanLaiと読むようです。タクシーにはHanLaiと一言言うとピンと来る様子。
街を流れる愛河は外国人向けにはLove Riverと呼ばれ、観光船が出たり、ライトアップされたり、プロムナードができていたりと、いい雰囲気です。
APOPSトラック!!
ミーティングフォーマットに関する一番大きな変更点は、APOPSトラックとして、Routing-SIG, IX-SIGなどテーマ別に小分けにしていたものを全部オープンにした点。これで、水曜日Opening Plenary以外の3コマがAPOPSの名の下に統一。
プログラムを見ていただくと良く分かりますが、http://www.apnic.net/meetings/22/program/apops.html 台湾,中国からの事例紹介,フィリピンのIXとピアリング事情,バングラデシュにSeeMeeWe4が陸揚げされ、国営キャリアとISPが総出で上へ下への大騒ぎでつないだ話などなど、とても充実していました。
バングラデシュの話は、SANOGのcommittee memberで、先日のSANOG8のときにお世話になったSumonが発表したのですが、現地に来ることはできず、予めビデオに収めた発表を流すという要領になりました。もともとAPNICでは、ビデオストリーム,即時速記放送,Jabber Chatなどなど遠隔参加に力を入れていて、この発表もそういう遠隔参加の一例というメッセージを帯びるものでもありました。
Policy SIG
今回は史上最多ではないかと思う、9件のポリシープロポーザルを議論しました。
奥谷泉がメールマガジンに書いた原稿にプロポーザル一覧があります。
http://www.nic.ad.jp/ja/mailmagazine/backnumber/2006/vol387.html
[コンセンサスの得られた提案]
prop-033-v001 | IPv6における割り当てポリシーの変更について |
prop-035-v001 | マルチホームネットワークへのIPv6 PIアドレスの新設について |
prop-038-v001 | 機能しない逆引きDNSに関するAPNICポリシーの変更について |
prop-039-v001 | IANAからの新たな割り振りアドレスの到達性向上に向けての提案 |
prop-041-v001 | クリティカルインフラストラクチャに対するIPv6アドレスの割り当てについて |
[コンセンサスの得られなかった提案]
prop-034-v001 | エンドユーザーへのIPv6 PIアドレスの新設について |
prop-036-v001 | IPv6割り振り基準の変更について |
prop-037-v001 | APNICデータベースにおける電子メールによる情報更新の廃止について |
prop-040-v001 | 非会員に対するAPNIC料金改訂の提案 |
焦点は未だに、IPv6アドレス分配のポリシと言っていいでしょう。
- 033は、今まで割り当てと言えば/48と相場が決まっていたのを、/64以上/48以下であればLIRの裁量でどういう大きさでも割り当ててよい、というもの。これには日本から敏感にも、「『小さく割り当ててもいいんだよ』の次には絶対、『なんで最大限で割り当ててるの?』が来るに違いない」と警戒する声が上がっていたのですが、提案の発表はこういう懸念をきれいに拭い去るようになされました。
- 041はクリティカルインフラに対する割り当てで、1運営組織最大/32まで、と決めてしまうポリシでしたが、こちらも通ってしまいました。ARINでは既に、クリティカルインフラに対して/48で対処するという提案が通ってしまっています。
- 035はマルチホーム組織に対して/48でPI(Provider Independent)割り当てを許すもの。
以上はコンセンサスにいたっています。
それに対して対照的だったのは、034と036。この2つはいずれもJordi Paletによるもので、いずれも、要するに、ISPでもないようなところにも/32のブロックを持たせろ、というもの。
この辺を大づかみに解釈するとすれば、Geoff HustonがIPv6のアドレスの寿命予測なども始め、言い出していることは、
IPv4は当初ある程度の広がりを予想しながら開発されたものの、開発者の想像をはるかに超える全く異なる規模の広がりを見せ、それが広く市民に使われるようになり、依存され、その上で枯渇の危機を迎えている。
IPv6も今のところ「ほとんど無限」だと思えるようなスペースを確保しているように見えるが、machine-to-machine,sensor networkなど今までのインターネットとは全く異なる利用方法が生み出される可能性が高いということは、IPv4と同じように、思いもよらない利用方法によって枯渇の危機にさらされる可能性があると言うことである。
であれば、明らかに無駄だと思われるポリシは早いうちに改めておくべきである
といったことで、こういうセンスがある程度広く浸透したということだろうと思います。
また、2,3年前には「/32より小さく広告することは悪である」と思われていた部分も、critical infrstructure, multihoming assignmentで/48が利用されることになることで、「ところにより/48も許容するべきである」への転換が必要になったことになります。この辺が、レジストリコミュニティにとどまらず、広く運用技術コミュニティに浸透しないと辛いですよね。
後日談となりますが、奥谷泉がIPv6 Styleにひとまとまり、IPv6関連ポリシをまとめています。
http://www.ipv6style.jp/jp/20060925/jpnic1.html
会費制度議論
APNIC21で本格的にキックオフされた会費制度。あっという間に半年がたち、その間では結局あまり話が進みませんでした。APNIC22に向けては、事務局ドラフトが8月頭に提出されました。これはAPNIC21に出てきたものと基本的には変わらないものです。
僕自身はNIR間のコミュニケーションを濃くしていく努力を続けていました。TWNIC, CNNICには訪問して考え方を共有しました。事務局案がワードドキュメントできちんと体裁が整っているものですから、議論のためのカウンタープロポーザルだとしてもちゃんと体裁の整ったものを出してみよう、ということでJPNIC穂坂俊之から出しました。TWNICにはNIR間の共有状況を発表してもらい、KRNICには政府の下部組織としての要留意点を訴求してもらう方向で発表してもらい、そんな調整や相談を、高雄に乗り込んでも何時間か持ちました。
今回はNIR-SIGで相当時間を取って、事務局ドラフトとNIRからのインプットを揃えました。http://www.apnic.net/meetings/22/program/sigs/nir.html 事務局長Paul Wilsonからは、カウンタープロポーザルやコメントに対して、今の事務局ドラフトの真意と要検討点を教えてもらい、バックグラウンドの共有はできたんじゃないかと思います。
この場で内容の話を持ち出さないのは、細かな料金表案などの議論も結局はまだまだプリミティブだし検討が詰められていないので、バックグラウンドの共有に寄与する程度だからです。
またもちょっと前進。ガバーッと行きたいところですが、仕方がないんだろうと思います。APNIC23ではもう少しマトモな議論の積み上げがやりたいので、この半年はがんばってオンライン議論を進めていかなくちゃいけません。6ヶ月後ですから、2週間に一度ネタを振っても、10個しかネタ振れないんですよね。メーリングリストを常にアクティブにして、どうにか積み上げていく議論がしたいところ。
日本勢
APNIC22は日本人の出席者が、これも北九州を除けば過去最高だったんじゃないでしょうか。たぶん20人に達するくらいだったと思います。下手すると台湾勢より多かったかもしれない。発表やSIG Chairでも相当contributionしていますし、SIGのコンセンサスの確認の時には、既に支配的と言っていいかもしれません。
欲を言えば、Q&Aなんかでもっと口を開いてほしいところ。でないと、他の出席者から、どういうバックグラウンドや技術を持った人間か分かってもらえないわけで、それが協同の第一歩となりますからね。
今回すごかったのは、福岡にある女子大、筑紫女学園の教員の方が参加なさり、質問にも立たれていたこと。お話を伺うと、英語学科でIT教育をご担当なさっていて、APNICからアドレスをもらったのだとのこと。こんなところで筑女の名前を聞くとは思わなかった。
ところで、不健康
今回ほど不健康なAPNICミーティングはなかった。出発前の金曜日に喉の痛みで病院にいって抗生物質を入れ、これの効力が切れる金曜日に、再び喉の痛みと発熱。たまらず(帰国できないと困るし)病院に掛かりました。おかげでカラチのときを越える、5日間弱の禁酒が実現してしまいました。