IGFを振り返って、もう一度。

昨日の日記でいくつかの記事を紹介しましたが、書きたいことを書いていないことに気づきました。

センセーショナリズム

CNETやITmediaで取り上げた記事に、IGFの正式名称さえ書いていない、と指摘したのが昨日の日記なのですが、それだけでなく、なんかセンセーショナリスティックなんですよね。もう一度タイトル書きますけど、

ひょっとして、確かにこれらのポイントはとても重要なのかも知れないですが、IGF全体を報道することもなく、これらのポイントだけを摘み上げるほど重要だったのか、否、そうではないと思います。きっと、これらの問題は対立構造がはっきりしていて、手っ取り早く好まれやすいってことだと思いますね。

しかも「ICANN支配問題が再燃か」なんて、ウォッチしている人間にしてみれば再燃も何も聖火のように燃え続けているわけだし、もう少し見て行くと、米国だって本気で手放さないということじゃなくて、ホームランドセキュリティに対する世論を配慮するために国内向けにはそういうポーズを取らざるを得ないだけで、実際にICANNに手を出したことは(ほとんど?)ない、ように見えるわけだし、昨日も書いたように、今回のIGFではその問題は遠ざけようとしているわけですからね。そういうのが分かっていると、なんかこのタイトルはちゃんちゃらおかしい、ってことなわけですよ。

「メディアなんてこの程度のものなのよ」と言おうとしてちょっと考え直すと、そうは言っても、CNETもITmediaも、普段僕が大いに参考にしているメディアな訳で、単にインターネットガバナンスというものがよほど特殊な領域だ、ということなのでしょうか。

避けるか、あえて触れるか、あるいはロンダリングなのか。

今回のIGFではICANN体制に関してはとても注意深く避けられた印象がありますが、root DNS zone file management ではかなりガチンコに議論、というか、考えていることの交換はなされたと思います。
「途上国支援ネタに尽きた」「発散した」とネガティブに書いてしまったIGF全体ですが、それでもそれらの領域では言いたいことを言ったような爽快感はあったような気がします。言いたいことを言って、それに対して反論なりなんなりを返すというやり取りは、結論が出なくても意義があるように思います。
僕自身も、もう一つ覚えのように、「違う意見や異文化」に対して「お互いのバックグラウンドを共有」して「違いの原因を理解」することが重要だと思うし、言い続けています。
それを、今までの国連スタイルの会議はフォーマリティなどなどに捉われすぎて持ち得なかったということじゃないか、という気がしました。どうも下種の勘ぐりくさいですが。
ICANN体制はあれ以上の対立を避けた格好で、どういう泥仕合が想定されるかは1日目の日記に書いたような背景からだったとされていますが、実際に泥仕合をやってみると何が起こるんでしょうね。噂によると、次回リオデジャネイロ会議のメインテーマは enhanced corporation。この言葉は、「次期ICANN体制」を暗に示すと言われている言葉で、正にその泥仕合をやるつもりなのか、という雰囲気が漂いもします。