遅ればせながら、Internetweek

インターネットウィークである。http://internetweek.jp/ もう1ヶ月以上前になってしまった。

主催者団体の職員となったが、、

JPNIC事務局専従となる時点でもう少し深く関与することになるのかと思いきや、ふたを開けてみるとやはり隣の部署が担当している仕事だし、自分の仕事は全然捌けないし、ということで普通のプログラム委員としての関与、という感じだった。しかも、まったくもって、出番以外でプログラムに参加することができなかった。

それでも主催者側的な視点でものを言うと、去年までのパシフィコ横浜を基調とした、チュートリアルも含めた大きな枠での開催を取りやめ、もう少しコンパクトに絞りこんで開催したい、というのが企画のスタート地点だった。ついでに言うなら、事務局の担当者も一新した。

だからプログラム編成も相当な自由度で、と思いきや、コンパクトにするという会場設定から入ると、プログラムを収める枠が自然と制限され、その中に入れないといけないものを入れ始めると、そこまで突拍子のないものもできない、という感じだったかも知れない。

企画当初に大方針として考えていたのは、IP Meetingを始めた当初のモチベーションみたいなものを、今の時代に合わせてどう表現するのか、といったことだった。「日本のインターネットを動かす上で共有しなければならないことを話し合う場」とでも言おうか。決まる過程に関与してはいないが、サブタイトルは「東京でディープに語る4日間」であった。「東京で」は、「パシフィコから秋葉原に移したよ」という意味として、「ディープに語る」には上のような意味合いが盛り込まれていると思う。

冒頭で述べたように自分の出番以外は見ていないから分からない。
自分の出番のうち火曜日の枯渇セッションとJPOPMは、どちらも事前に満席。無料なので"歩留まり"が気になったところだが、180人もの皆さんのご参加を、両セッションともいただいた。JPOPMとしては史上最多だったはずである。

IP Meeting/Internet Forum とそのパネルディスカッション

もう一つの出番は、IP Meeting/Internet Forum である。Internet Forumは、2006年4月のIETFフォーラム、2006年12月のIW2006では初日のIP Meetingと双璧をなす最終日の開催を経て、IP Meetingとのジョイントとなった。

パネルディスカッションは江崎浩さんがパネルチェア、他のIWセッションを担当したプログラム委員が7人の他に、総務省の谷脇康彦さんがご登壇。事前資料を寄稿なさった上で、IW各セッションの報告とともに、今後のインターネットを考えていこう、というものであった。

IWセッションのラインアップは、PKI, Enterprise 2.0, DNS, 著作権, 事業者と規制法制, アドレスポリシーと枯渇, 基盤ネット運営となっていて、これがプログラム委員会が考える「インターネットの構成要素」ということになるかもしれない。

このパネルに登壇したのだが、おそらく、僕が今までに登壇したパネルのなかで、もっとも口数が少なかったんじゃないかと思う。谷脇さんが投げかけた7つのテーマは、IWのラインアップであった7つと(たまたま数は合っているものの)一致しないということもあるが、もう少しメタというか、本質論のレベルを語っていらっしゃったような気がする。その一方で、IWなりIP Meeting/Internet Forumが「日本のインターネットを動かす上で共有しなければならないことを話し合う場」であるとすれば、そこの住民が谷脇さんの投げかけに答えられないというのも、本当であればおかしいはず。ちょっと悔しい気がした。

もう一つ、「インターネットの構成要素」が上のものとして、著作権, 事業者と規制法制が含まれているあたりが、とても象徴的なのではないかと思う。
利用者から見た「ネット」というものに比べると、我々が語る「インターネット」というのはまだまだ低位レイヤーのことだろう。今まで人と人がやりとりする言葉、あるいはコンテンツというものはover layer7の高位にあって、通信ネットワークにはほとんど関係しない独立したものであった。しかし、今はそういう切り分けが通用しない。
デジタルコンテンツは原理的にはコピー可能なのでネットワーク基盤の上にも滞留し得る。TCP/IPの制御系がユーザが持つPCにまで張り出しているから、IPアドレスやポート番号を初めとする、プロトコル上の制御情報も、ユーザが喋るものとして通信秘密に区分される、といった次第で、切り分けがクリアでなくなって来ている。

衆知のことではあるが、インターネットを動かすものが単に技術だけに留まらなくなってきていることを実感する次第。